
こんにちは。みよみよ看護の創業者、松田栄子です。これから全4回に分けて、私が看護師になり、みよみよ看護を始めるまでのお話をしてみようと思います。
訪問看護を長く続けていると、最初からこの仕事を目指していたように思われるかもしれません。でも、出発点はもっと身近なところにありました。
父がよく口にしていたこと
父がよく言っていたのは、資格を持っていると強い、ということでした。結婚して、子どもを育てて、少し手が離れたらパートで働く。そのときに看護師の資格があったらいいんじゃないかな。そんな気持ちで、私は看護学校へ進みました。
18歳で親元を離れ、金沢の看護学校の寮へ。学校に通い、病院で実習をして、夜はサークルやおしゃべり。よく食べ、よく笑い、よく寝ました。授業中も?という話は、まあ置いておきましょう。
後に母校で卒業記念講演をさせていただいたときも、同級生や先輩、後輩の顔を見ると、一瞬で学生時代に戻りました。それくらい、毎日の暮らしごと覚えている時間です。
保健室の先生になるつもりが
実は、学校の保健室の先生になりたいという気持ちもありました。看護学校を卒業した後は、新潟で大学の養護教諭になるための課程に進み、免許を取りました。
ところが、教員採用試験には受からず。地元の病院に就職し、配属されたのは手術室でした。毎日、手術の器械出しをする日々。私の看護師としての仕事は、そこから始まったのです。
同級生たちは、看護師、保健師、養護教諭として、それぞれの道を歩んでいきました。私はというと、その後、結婚をして神戸へ。病院を退職し、専業主婦になりました。今の私を知っている人に話すと、結構びっくりされるんですよ。
約8年間、仕事から離れて
専業主婦をしていたのは、約8年間。その間に二人の子どもを産み、夫の転勤などで引っ越しも何度もしました。働きたいと思っても、なかなか働き始められない時期でした。
編み物をしたり、パンやお菓子を作ったり、服をリメイクして子どもに着せたり。いろいろやりました。でも、そのうち、もう一度、仕事をしたいという気持ちが大きくなっていきました。
手元には看護師の資格がある。でも、仕事から離れて長いし、経験だって多くない。資格があることと、復職する自信があることは、別なんですよね。
それでも、働いてみたい。その気持ちを動かしたのが、ある日、社宅で目にした一枚の募集案内でした。そこには、訪問看護師を募集していると書かれていたのです。
週に1回なら、私にもできるかもしれない
訪問看護がどんな仕事なのか、まだよく分かっていませんでした。でも、土曜日の一日でも働けるなら、やってみたい。問い合わせてみると、それでもいいとのこと。私はさっそく応募しました。
面接のために、子どもの世話をご近所さんにお願いして。当時のブログには、着られるスカートがなくて、面接前にダイエットまでしたと書いています。仕事に戻れるかもしれないと思って、私なりに張り切っていたんですね。
無事に合格し、次は5日間の研修です。ご近所さんだけに頼るわけにもいかず、実家の母にも来てもらう段取りをしました。いよいよ働ける。よく分からない仕事だけれど、楽しみでした。
ところが、そこで夫の東京転勤が決まったのです。
いったん見送った、訪問看護への一歩
研修を辞退することになり、私はすっかり落ち込んでしまいました。ようやく再就職までたどり着いたのに、また引っ越しです。
そんな私を励ましてくれたのが、お隣の仲良しの奥さんでした。東京にはいろいろなチャンスがあるから、きっとまた機会が来る。そう言ってくれたのです。
そのときは半信半疑でした。それでも、家族で東京へ。長男は小学1年生、次男は3歳。新しい社宅の裏には市立の保育園があり、空きもありました。これはもう、仕事を探してみようと思いました。
あちこちへ電話をかけて、仕事を探しました。引っ越してきたばかりで、どこにどんな仕事があるのかも分からない。まずは聞いてみるしかありませんでした。
資格を生かす道を、つないでくれた人
実はその頃、看護師として働く自信がなく、ヘルパーの仕事も考えていました。福祉公社へ面接に行ったところ、そこの保健師さんが、看護師の資格を生かしてはどうかと声をかけてくださったのです。
そして、その場で三鷹市役所へ電話をして、話をつないでくれました。私は市役所で面接を受け、訪問看護指導事業の看護師として働くことになりました。
自分一人では選べなかったかもしれない道を、誰かが見つけてくれることがあります。神戸のお隣さんも、東京で出会った保健師さんも、そうでした。
不安が全部なくなったわけではありません。でも、仕事を始めたときには、それを上回る新鮮さがありました。嬉しくて、楽しくて。長く仕事を離れていた私の、訪問看護師としての毎日が始まったのです。
次回は、三鷹市で始めた訪問看護と、横浜で出会った小さなデイケアのお話です。
文:創業者・松田栄子
※この記事は、松田栄子の過去のブログと動画での語りをもとに、本人の一人称で再構成しています。


